4. ケー・エス・ピー 佐野浩司社長

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エンドユーザーと直接取り引きできる看板屋を標榜し、1996年に旗を揚げたサイン製作企業、ケー・エス・ピー。創業時より、商品やサービスを一方的に売り込むのではなく、クライアントの潜在的な課題を解決する営業姿勢にこだわり、長期的な信頼関係の構築を志してきた。その成果は、ゴム、鉄鋼、自動車、航空機の日本を代表するトップメーカーから直接受注を獲得するほどのものだ。看板屋の強みである「一点物のモノづくり」を最大の武器に変え、大手広告代理店や印刷会社と対等に渡り合ってきたノウハウとは? 時代の一歩先をいく取り組みは、サイン業界喫緊の課題である過当競争、下請け気質からの脱却を図るケーススタディーになっている。同社が20年来貫く、ソリューション営業の全貌に迫った。


.黒字倒産の危機に陥った船出
「自分の力を試したい」。1996年5月、創業者で現在も代表取締役を務める佐野浩司氏の純粋な思いから、ケー・エス・ピーは生まれた。

佐野氏の前職は、サイン関連の製作も取り扱う広告会社の営業だった。老舗でネームバリューもあり、ブランド力で仕事が舞い込む企業。本当に自身の力で仕事を取れているのか、そんな思いが氏の胸に募っていく。おのずと独立を志すようになり、30歳の節目を機に一念発起して名古屋でサイン製作企業を創業。前職で長年かけて関係を築いてきた顧客や協力会社は全て手放し、自ら進んで裸一貫のスタートを決めた。

時代は、平成不況と呼ばれるバブル崩壊後の経済後退期。「私と妻の家系は代々公務員かサラリーマンばかりで、商売している者が一人もいません。ましてや日本経済も厳しい時代。親戚からは反対されるというより、仰天されましたね」

創業後から程なくは、飛び込み営業の日々が続く。製作設備もカッティングプロッターぐらいしか持ち合わせず、外注の施工部隊を含め、協力会社をいちから探す必要があった。それでも、少しずつ仕事が回り始めた約半年後の10月、思いもがけない事態に陥る。いつの間にか、銀行の残高が底をついていたのだ。

自宅に戻ると、妻に「明日から米を買うお金もない」と告げられた。それなりに仕事も入り始め、創業時の蓄えに余裕もあったのに、なぜか。それは単純な理由だった。協力会社や仕入れ先に対する支払いを、全て当月払いの現金で行なっていたため、仕事が入れば入るほど、キャッシュの焦げ付きを招いてしまっていたのだ。

今日の飯を食いつなぐのに手一杯となるなか、独り実家に戻った休日。窮状を察した母親が、冷蔵庫の中身を全てダンボールに詰めて、「持っていけ」と一言だけ佐野氏に呟いた。ありったけの食料を車に積み込んでの帰路、大粒の雨でフロントガラス越しの視界が狭まり、自責の念でいっぱいになった当時のようすは今でも鮮明に脳裏へ焼きついている。

身内に商売人がいなかったため、運転資金の概念が抜け、一時は路頭に迷いかけた。しかし、創業間もないにもかかわらず、数百万単位でも当月払いで対応したのが功を奏し、協力会社や仕入れ先からの信用には多大な好影響を与えた。その評判は口コミで広がり、佐野氏の営業力をサポートするネットワークが次第に築かれていった。

岐阜・各務原に拠点を置く大型鉄骨加工工場

大手企業とツーカーになる営業手腕
1年が過ぎ、当時流行していた大手英会話スクールの案件が入る。90年代、高校や大学の通学路に、さまざまなスクールのポスターが溢れ、さながら英会話戦争と呼ばれる時期だった。その乱立したポスターボードの撤去作業を引き受けたのだ。

依頼は東海地区全域に及び、撤去後の壁まで補修する途方もない仕事。こなすだけでも一苦労だが、佐野氏は東海地区をせっかく回るのだからと、同スクールに関わる看板類の位置、形状、寸法を全て記録し、写真も添えてファイリングした。英会話スクールの担当者に提出すると、大いに喜ばれたという。携帯電話もない時代、たったひとつの看板を修繕するために、繰り返しの確認作業を何手間もかけていたものが、「ファイルの何番目の看板」と伝えれば済む。その後の同スクールの仕事が、氏のもとに舞い込むようになっていくのは自明だ。

それでも現状に胡座をかかず、クライアントの立場を第一に考えた営業を心がけていた。その頃の英会話スクール社員の勤務時間は13〜22時。競合企業の営業マンは17時ぐらいまでの時間帯でアポを取ろうとするものの、各校舎を周っている日中は担当者がつかまりにくい。そこで、佐野氏は担当者の時間が空きやすい20時以降に狙いを定め、頻繁に会うことに成功していた。

その日に打ち合わせた内容をまとめたデザインや見積もりも、翌日13 時の出社までに提出するスピード対応。顧客に寄り添った営業で、強固な信頼関係を築いていき、個人事業主ながら、同スクールの看板を製作含めて一手に引き受ける。乗じて経営も軌道に乗り始め、98年4月に法人化を果たした。

「自分本位の尺度で測るのではなく、相手が困っていることを理解し、解決する、この姿勢を大切にしています。それが会社の信用へとつながり、ひいては価値創出につながります。他社と同じ物を売っているだけでは、価格だけの勝負に陥ります。そうではない、いわば価値を売り物とする、それを当社では営業スタンスの根底に置いています」 

ファブレスで直接取り引きは成り立たない
法人化から更に半年が経った同年9月、再び経営の岐路に立たされる。台風5号から1週間も間を置かず、8号と7号まで2日連続で日本に上陸したのだ。その被害は死者と行方不明者19名、負傷者600人を上回る甚大なものだった。

サイン業界全体が看板の補修作業に追われ、協力会社は自社の仕事で手いっぱいとなる。佐野氏は頼る先を無くしてしまい、台風で壊れた既存クライアントの看板修繕を1カ月近く放置することに。結果、信用を失い、数少ない貴重な顧客が3社も減った。「いざという時に対応できない会社とは、付き合えない」。今でも忘れられない言葉だという。一所懸命に積み重ねた信用も、たったひとつの出来事で一瞬にして崩れてしまう。最低限のメンテナンスフォローすらできなければ、直接仕事を引き受けるに値しないと身に染みて分かった。同じ轍(てつ)を二度と踏むまいかと、佐野氏は製作・施工技術の習得に乗り出していく。

それは文字通りゼロからのスタートとなった。ビス1本、ドライバー1つから買いそろえ、収益はほとんど設備投資に注ぎ込んだ。道具だけでは、どうにもならない。付き合いのある看板の職人、建設会社に勤める友人、さまざまな人脈を頼って技術の習得に努めてきた。

製作・施工の体制も整い始めた頃、ふと佐野氏は自問する。「果たして他社と比べて遜色ない技能と言えるのか」。客観的に判断するには、他地域の看板屋についても、もっと知る必要がある。全国の業者と交流を持つべく行動に移し、ミスターサインネットワーク、そしてサインの森の勉強会に足繁く通うようになっていった。

同業の知り合いが増えたのをきっかけに、新たな取り組みにつながっていく。特徴的なのが、例えば自社に営業マンを迎え入れ、他社へ職人を修行に出すなど、互いに得意とする分野で社員を一時的にトレードし合う交換留職だ。さまざまな会社の社員を知り、施工ノウハウに触れ、全国レベルの技能水準を追い求めてきた。

時を経て2014年、岐阜県各務原市に大型鉄骨加工の工場も新設し、看板と名の付くものであれば対応できる体制を構築するに至る。

加工工場で製作中の大型看板

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