10. グリーンクロス 久保 孝二社長

建設現場の安全機材や保安用品の販売・レンタル企業として創業し、サイン事業と両輪で成長を続けてきたグリーンクロス。全国各地に約60拠点を構え、各支社に専門の施工部隊を用意する対応力を武器に、2023年度の売り上げは243億円を記録している。  さらに、2015年にトレード、2022年にマクテック、2024年にはアイ工芸をそれぞれ連結子会社化。大手の資材販売会社に加えて、東西で豊富な事績を誇るサイン製作会社を傘下にし、国内でも屈指の生産設備を構築しつつある。  2020年からは、働き方改革にも注力し、「健康経営宣言」を提唱。ウォーキングイベントや定期健診などを実施し、社員の健康管理を徹底させている。「業界の地位を向上させるためにも、まずは私たちが魅力ある会社をつくっていかなくてはならないと思っています」と語る久保孝二社長の瞳は今、何を見据えているのか。同社の歴史を紐解いていくとともに、敏腕社長が描く事業ビジョンを語ってもらった

2023年3月にオープンした東京・日本橋の新事務所。連結子会社化した多くの企業も集約されている

安全機材の不変的需要に着目し 全国各地に次々と支社を開設

2015年10月、サイン業界に激震が走った。愛知県を拠点とするネット通販大手の資材販売会社、トレードの買収が決まったのだ。買い手となったのは、安全機材の販売・レンタルを事業の柱にする福岡県の大手企業、グリーンクロス。黒字経営で倒産とは無縁と思われていた販売会社の突然の子会社化は、諸説紛々、さまざまな憶測や噂を飛び交わせたものの、「この新しい風で、業界が変わっていくかもしれない」という、期待感を感じさせる声も少なからずあった。否応なしに注目度も高まるなか、同社はかねてより注力していたサインの事業領域を順調に拡大。すぐに業界内トップクラスに昇りつめ、現在でもなお、業績を伸ばし続けている。そして2024年11月にはホールディングス体制に移行し、新たに「株式会社グリーンクロスホールディングス」を設立すると発表。名実ともに、国内ナンバーワンのサイン製作会社に向けての道を歩み始めている。

「サイン業界のなかで、圧倒的な企業を目指したい。そして、それができるとも確信しています」。力強く言い切るのは、2代目社長の久保孝二氏だ。会社の礎を築いた先代・青山明氏の意思を受け継ぎ、その根幹を何倍にも大きく成長させてきた。では、なぜそこまで固く意思を貫き、一心不乱に進み続けられるのか。久保氏のルーツを、会社の歴史とともに探っていく。

同社が創業したのは、1969年。ちょうど高度経済成長期で、外に出れば仕事が舞い込む頃だった。そんななか、周囲とは違う視点を持っていたのが、先代の青山氏だったという。「現状の建設ラッシュはあくまで時代の産物であり、事業の安定化にはつながらない」と分析。一方で、どんな時代でも決してなくならない工事現場そのものに着目し、安全機材の販売・レンタル事業に舵を切った。「将来的に工事のやり方や職人の在り方が変われば、人の需要はなくなってしまいます。しかし、安全機材は必要とされ続ける。だからこそビジネスになるのだと、先代は話していました」と久保氏は目を細める。

目論見は当たり、道路工事で使われるフェンスやコーンといった製品は飛ぶように売れた。そして、一定の需要を継続的に見込める業界だからこそ、一度クライアントが定着すれば、「ずっとこの会社で買ってきた」という義理と人情で契約を続けるケースも少なくない。この風潮は、現在のサイン業界でも根強く残っているものだが、青山氏は当時からこれを実践。九州を中心にリピート案件を増やしていくとともに、次々とシェアを広げていった。

瞬く間に事業は安定化をたどり、約2年後には資本金300万円で法人化。1981年には地方の壁を越えて広島県にも営業所を開設した。その後も勢いは衰えず、1998年に松山営業所、2001年には姫路営業所と、徐々に北進していくかのように、四国・関西地方へと拠点をオープンさせた。さらにこの頃になると、安全機材と合わせて訴求していた工事看板に加え、個人店舗や施設のサイン製作関連の引き合いも増えてくるように。それらを専門で手がけるメディア事業部も設立し、現在のグリーンクロスの礎をつくるかのごとく、全国に根を張っていった。

創業以来、同社の事業を支える柱となっている、安全機材の製品群。全国各地のさまざまな建築現場で、建設業従事者をケガや事故から守っている

中途採用から約10年で取締役に “当たり前”を積み上げ信頼獲得

目指すは、「日本一の企業」。壮大な目標を掲げ、会社が順調に成長し続けるなか、現社長の久保氏は1998年に入社した。前職は住宅リフォーム会社の営業職で、当時の年齢は27歳。転職前は1カ月に休みが数日あるかないかという極限状態で、精神的にも肉体的にも限界を迎えた頃だった。「結婚して子どもが生まれたばかりで、働くのにただ必死だったのを覚えています」と振り返る。

地域のハローワークを介しての、一般的な中途採用。当然、社長との特別なパイプを持っていたわけではない。配属先も福岡本社ではなく、地元・長崎のいち営業所だった。「正直なところ、特別な理念があったわけではありませんでした。ただ家族を守り、ともに過ごすために必要な選択だったんです」と久保氏は苦笑する。

しかし、そこからの快進撃は圧巻だった。「前職と比べて営業のしやすさを感じました」と語る通り、過去の経験を生かして次々と案件を受注。営業成績はあっという間に社内でも上位となり、入社からわずか2年で、久留米支社の支社長に就任した。「飛び込み訪問で興味のない人にも提案しなければいけないBtoCのリフォームとは異なり、BtoBの安全製品は工事現場で絶対に必要なものです。需要そのものはあって、競合メーカーに勝てば良いという話なので、考え方はシンプルでした」

久保氏がクライアントに働きかけたのは、親切は対応と丁寧かつスピーディーな納品。言葉にすれば、営業としては当たり前の仕事だ。しかし、誰よりも迅速に、一切のよどみなく同時進行でこなすのは簡単ではない。それを日々実直に積み上げ、担当エリアからの信頼を獲得していった。

そして、一度商品を手に取ってもらえば、後はリピートにつなげるだけだ。久保氏のやり方は、青山氏が実践していたシェア獲得の心得とも、見事に合致していた。

さらに、久保氏の大車輪な活躍は続いた。もともと、「身内を経営陣には決して加えない」をモットーにしていた青山氏の築いてきた、年功序列のない社風とマッチしたのもあり、一足飛びに営業開発部の部長、そして執行役員とキャリアの階段を上がっていく。そのまま出世街道に陰りは見えず、2009年には38歳の若さで取締役にまで昇進を果たした。

安全機材の販売・レンタルから、EC事業、サイン製作と、スタッフたちの日々の業務は各部署ごとに多岐にわたる

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