2004年にはんこ印刷業として埼玉県久喜市で旗揚げし、培ったデザイン力や出力技術を応用して、後にサイン業界に本格参入したグローアップ。長期スパンでの地域密着型サービスによって、地元との信頼関係を構築してきた。無駄なコストを徹底的に省き、売り上げよりも利益率を重要視する経営方針で業容を拡大。今年3月には新社屋を落成させ、新たなスタートを切っている。異業種からの参入に関わらず、時代の波に飲まれず社名のごとく堅調な成長を続ける同社の強みとは、いったい何なのか。中山秀雄社長にスポットを当て、その足跡を追っていきたい。
裸一貫で独立を決意する胆力
「いつか必ず、自社ビルを建てる。独立してから、ずっと抱いていた目標でした」。きっぱりと言い切る中山秀雄氏の目に映るのは、「グローアップ」の文字を掲げた真新しいオフィス。今年3月に落成したばかりの新社屋だ。
中山氏が代表取締役を務める同社は、地域密着型のはんこ印刷業と、関東一円のサイン関連を手がける製作会社。特に久喜市内では広い知名度を誇り、地元の小売店や飲食店を主なクライアントに抱える。その始まりは、たった一人で開業した、はんこ印刷専門会社だった。
時はさかのぼり、1997年。デザイン系の専門学校を卒業後、従業員1万人を超える大手たばこメーカーの子会社に就職した中山氏は、営業や配送業にわれるなか、「このままでいいのか」と、複雑な感情を抱き続けていたという。周りの社員は皆、出世のために上司の顔色をうかがい、要領良く振る舞う。自分の仕事だけをさっさと終わらせ、忙しい同僚を手伝おうともしない。たとえ一生懸命働いても、評価されるどころか、妬まれてしまった。「この組織で上に上がって満足するような人間にはなりたくないと、強く思いました」と中山氏は当時を思い出し、自戒する。
「独立したい」。いつしかそんな感情が、胸のなかで育っていく。「何か人に喜ばれる仕事がしたい。そして会社に頼らずどこまでできるか、自分の力を試してみたい」。この強い気持ちが、中山氏の心を突き動かした。
2004年、28歳の頃に、一念発起して会社を退職。思い切って資本金1,000万円を借金し、「はんこ印刷センター」を開業した。「学生の頃に学んだデザイン力を生かせる仕事であれば、業態にこだわりはなかったんです」と目を細める。借金の約半分を費やして、はんこ用彫刻機や印刷設備を整えた中山氏。店舗兼作業場を構え、法人向けの実印製作はもちろん、名刺、封筒、社名ロゴのデザインなど、依頼された仕事は何でもこなした。
利益度外視のPR戦略で顧客を増やす
とはいえ、何の人脈もないままに始めた商売。当然ノウハウもゼロからのスタートだ。最初の1カ月は、全くと言っていいほど、客が来なかった。
では、どうやって人を呼んだのか。「とにかく、店の存在を知ってもらうために、宣伝広告に力を入れました」。電話帳への記載やカタログの製作・配布、DM送付、地元紙への広告掲載。PRにつながるものは、何でも取り入れた。創業時の限られた資金のなかでも、躊躇はなかったという。「正直生き残るために必死だったので、細かい部分は覚えていません」と苦笑する。
利益度外視でPRを続けるうちに、少しずつだが、知名度は上がり始め、仕事も自然と舞い込むようになっていった。さまざまな要望に応えるうちに、手探りだった技術も向上。はんこの彫刻とデザイン業務を一手に引き受けられるフットワークの軽さが受け、2年も経つ頃には、地元で知らない人はいないほどにまで成長を遂げた。
いつの間にか従業員も雇えるようになり、店舗も拡張して活気も出てきた2010年頃、ひとつの転機が訪れる。社名ロゴのデザインを依頼してくれたクライアントから、追加で要望があったのだ。「そのまま看板を作って、取り付けまでお願いできませんか?」
このニーズをきっかけにして、サイン業界へ参入。善は急げと、溶剤 IJPとカッティングマシンを導入した。ここでも、設備投資に二の足は踏まなかった。
ちょうど業界内にデジタル化の波が押し寄せていた時代。マシンがあり、デザインやPCを一通り使いこなせれば、仕事につながるという考えもあったそうだ。必要だと思ったら、即決断する思い切りの良さが大切だと中山氏。仕事を継続的に得るために求められるのは、モノづくりの技術だけでなく、顧客のニーズに応える気概と、提案力だと、胸を張る。