カリスマの父とは異なる、中川興一社長だからこそできる会社づくり
編:そんな偉大な考えを持っていた先代から事業を受け継いだ中川社長ですが、実際会社の舵取りをする立場に立って、意図的に社内を変えた部分、あるいは自然と変わっていった部分は何かありますか?
中:意図的に変えたというか、変えざるを得なかった部分はありますね。というのも、父はいわゆるカリスマなんですよ。自分の考えに自信を持って、あれだけのバイタリティを持って、看板屋さんからメーカーになるっていうのはもう、並大抵じゃないと思うんですよね。だって、5年間も売れなかったものを、普通売り続けられます?
編:ちょっと厳しいですね……。
中:無理でしょ!? 僕も無理だって言ったんですよ、それ。でも、父には「売れる」っていう何かしらの確信めいたものがずっとあったと思うんですよね。良くも悪くも、僕にそれと同じやり方ができるとは全く思えませんでした。そもそも性格が違う。求められても無理です。だから、僕は父のやり方みたいな、皆を引っ張っていくやり方ではなく、自分一人でできない仕事を皆でやっていこう、というやり方にしていこうと思いまして。僕を支えてくれる右腕・左腕と協力していくために、経営企画室というものを作りました。それは明確な変化ですね。
編:具体的な仕事の進め方からガラッと変えているんですね。
中:そうですね。それが、一番変えたところかなぁ。経営企画室でいろいろなアイデアの方向性を決めたり、僕も含めた皆の意見を吟味してもらったり、本当に方向性は合っているのか、いつも確認しながら進めています。
編:頼りになる方々ですね。
中:はい。もともと、側近を育てるみたいな取り組みは先代からずっとやっていたんです。例えば、会社から大学院に通ってもらって、経営学修士を取得して帰ってきてもらうという施策ですね。学ぶ環境構築も含めて、チームを作ってきました。当社くらいの会社規模で、経営学修士を持っている人が3人も居る企業ってあんまりないと思うんですよね。そういう部分は、明確に僕が代表になって変えた部分です。3人で協力し合えば、誰かが暴走しても大外しはしなくなる。だからこそ安心して、多彩なチャレンジができると思っています。
編:カリスマとはまた違った、会社の魅力になっているように感じますね。
中:そう言ってもらえるとありがたいです。その点で言うと、年功序列をなくしていきたいという気持ちは持っています。あとは、これは意図的というより自然にそうなってしまうんですけど、社長を偉くしすぎないっていう(笑)。あくまで会社の代表は僕ですが、上に立ちすぎないように意識しています。何度も言いますが、父はもう、居るだけで偉いんですよ。でも、僕は違う。良い意味で、皆の距離が近くて、意見を言える会社にしたいと思っています。父は父でもちろんすごいし、尊敬しているけれど、それとはまたひとつ違う魅力を会社に作っていければ良いなと心がけています。
編:今まで築き上げてきた会社を継ぐ2代目の立場は、アプローチの仕方とかも会社の立ち上げとは違う難しさがありますよね。会社を継ぐ時に、何か先代から贈られた言葉とかはあったのでしょうか?
中:ありません(笑)。実は、「継げ」って言われた記憶も無いんですよね。昔から、継ぐつもりはなかったし、父も同族経営は反対だって、言っていたんです。
編:では、その考えが変わる契機はあったのでしょうか?
中:そうですね。月並みな話かもしれないですけど、父が体を壊したのは、ひとつのきっかけになりました。ちょうど僕が20歳くらいの時に、父はひどい喘息を患ってしまったんです。その時に、面と向かって父と話しました。「僕の将来について何か考えていることはありますか? なければ、会社とは関係のない仕事をしたいと思っています」と。結局、心のどこかにずっと会社を思う気持ちがあったんでしょうね、本音の部分で、多分。
でも、その時初めて、「でも、やる(継ぐ)んだろ?」みたいな感じで、言われたんですよ。それで僕も、「あ、はい」みたいな。そんなすごく短い会話で終わったんですけど。それが、贈る言葉と言えばそうですね。そのあと正式に入社したわけですが、それで「後の社長に」という話は全くなくて。仕事でうまくいかなければ怒られる、先輩に迷惑をかけて助けられて、みたいな、普通の新入社員と同じです。なので、本当にいつの間にか、という感じですね。
編:創業の時とはまた違う、一種のドラマがあったわけですね。
中:ドラマって言って良いのか、ちょっと分からないですけど(笑)
編:結構ドラマチックですよ!
中:まあでも、必死に頑張ってきたのは、確かですね。少しずつは、成長してきているのだと思いたいです。