何もない面に筆1本を走らせ、あっという間に印刷顔負けの文字を描き出す職人がいる。かつて手書き文字に魅入られた自身の信念を貫き、いまなお魅力を広める活動を行う、1人の職人が抱える思いをつづった。
人生を変えた職人との出会い
使い古された1本の平筆が墨色に染まる。ただの板だったものに、まるで命が吹き込まれるように、1文字ずつ繊細に描かれていく。あっという間に、世界でひとつだけの看板が完成する。自由自在に筆を操るのは、サインズシュウの代表を務める上林修さんだ。文字や、間隔を調整する升目の下書きを一切せず、直接盤面に文字を描ける技術を持つ、日本有数の職人でもある。
「手書きの看板は、年を経るごとに、独特の味わい深さが増します。これは、印刷にはない魅力ですね」
昔ながらの墨や塗料を使って趣を作り出す手書き文字は、看板職人の誇る伝統文化だ。IJPの出力技術が発達した現在でも、クライアントや愛好家から根強い需要を持つ。全盛を誇ったのは、昭和中期から後期。その時代から第一線を走り続け、いまだに熟練の技術を持つ職人は多いが、ぶっつけで下書きもなしに描ける人は少ない。
上林さんがサイン製作会社の門をたたいたのは、1980年代の中頃。20歳を超え、舞台の大道具として働いていたなかで、たまたま仕事場に訪れた手書き文字職人の仕事ぶりを目にしたのがきっかけとなった。もともと絵を描くのが好きだった上林さん。舞台背景にすらすらとレタリングしていく手書き文字職人の妙技を間近で見て、「これだ!」と思ったという。
さっそく仕事を辞め、地元で入れる看板屋を求めて奔走。電話帳を片っ端からめくり、広告欄に「書き文字」という文字を見つけては、弟子入り志願に赴いた。「給料はいらないから、働かせてくれと言ったのを、よく覚えています」と上林さんは苦笑する。その熱意が伝わり、和泉市(現・岸和田市)のサイン製作会社に入社。バブル全盛期のなか、月収8万円という厳しい環境で、上林さんの職人人生はスタートした。