法人化に合わせ沖縄一の大型資材倉庫を確保
沖縄の看板は、台風の被害からは切っても切り離せない。改修・修繕作業に欠かせない材料の確保は重要なポイントにあたる。同社では03年の法人化に合わせ、大型倉庫を完備した事務所に拠点を移す。常時、大量在庫をストックできる場所を確保するとともに、在庫不良を出さない仕組みも考案した。それは、資機材をメーカーから買い取るのではなく、倉庫代無料で「委託販売」するという考えだった。沖縄と本州間の運送料を考慮すれば、誰も損をしない手法と言えよう。これにより、短納期対応を実現してきた。
白間氏は、「私自身が培ってきた60年、そして沖縄アドサービスとしての27年の長年にわたる資材販売の経験が当社の強みだ」と胸を張る。同社では、多くのユーザーとの付き合いを大切にし、各メーカーの資機材を取り揃えるとともに、エンジニアを含むアフター体制を重視。また、国内に留まらず、中国、台湾、アメリカ、ドイツなどの国外の展示会にも積極的に社員を派遣し、最新の情報収集と提供に努めてきたのが優位性であると、氏は語気を強める。
社員の給料は会社ではなく、お客様がもたらす
もうひとつの特徴は、同社に経営理念が存在しない点であろう。その代わりに「行動指針七ヶ条」を社訓とする。そこには、お客様第一主義をモットーとした指針が並ぶ。白間氏に資材販売店の使命を問うと、「良い品物を安く早く納品する。これに尽きます。豊富な在庫を持ち、柔軟な納期対応はもちろんのこと、情報収集も欠かせません。私たちは学ぶ姿勢を持ち続ける必要があると考えています」と曇りのない表情で語る。さらに氏は、実際の行動に結びつかない経営理念は綺麗事に過ぎず、会社の発展にはつながらないと断言する。
「経営者は、自分たちの給料がどこから生まれているのか、常日頃から社員に対して教えていくべきです。給料は、会社から自然発生的に生まれるものではありません。納品先のお客様が、自分たちの給料を作ってくれていると感謝の気持ちを忘れず、誠意をもって仕事にあたるべきです。でないと、顧客との関係性は長続きしませんし、いずれは見放されます。それが1社、2社と続けば、会社が倒産してしまうのです。その当たり前のことを各々が自覚しているか、いないかでは大きな違いとなります」
そんな同社の社員は、全員が配送もこなす営業マン。1日あたり40社は回るという。社員1人ひとりが、ユーザーの顔を見て仕事をするという企業姿勢の表れだ。
1日にカッティングプロッター20台を売りさばいた営業手腕
およそ60年、白間氏が資材販売を続けるなかで最も大きな転機となったのは、カッティングプロッターの台頭だった。それまで手書きによる職人技で作り上げてきた看板屋からは、機械に仕事を奪われると大反発され、ほんの些細な字体の違いにすら難癖をつけられたエピソードは鮮明に覚えていると話す。数年後にIJPが持ち込まれた時には、沖縄特有の赤である「朱色」の再現に、メーカーのエンジニアと四苦八苦したと、当時を振り返って笑う。そのような逆境下でも、一度内覧会を開けば、たった1日でプロッターを20台以上売りさばく。看板業界の移り変わりを語るに、白間氏は欠かせない存在なのだ。そんな氏のもとに、メーカーの営業マンが、こぞって新製品を持ち込んだのも自明と言えよう。
今後の看板業界について、白間氏は人手不足の解消に対して真剣に取り組むべきだと力説。製作工程の機械化は避けては通れないとする一方で、現在抱えるマシンを十分に使いこなせているのか、その自問自答を促す。また、看板屋として自社特有のデザイン力を駆使し、独自性の高いアイデアを提案できる営業力の強化は必須と語る。いくらIJPなどの新設備を入れても、それらを使いこなせなければ、宝の持ち腐れとなってしまい、ゆくゆくは先細ってしまう。「待ちの経営では、伸び代がない。ファブレスでは、広告代理店になってしまう。IJP、ひいては自社工場をフル稼働させるような、営業力の強化が必要なのです」と警鐘を鳴らす。
取材を終えると、おもむろに受話器を手に取り、流暢な英語で電話する白間氏。なんと、米軍基地のステーキレストランに案内してくれるという。「いちゃりばちょーでー(※一度出会ったら皆兄弟だから仲良く付き合おう)」、氏が大切にする沖縄の方言である。人同士の付き合いが希薄になりつつある昨今、氏との会食は営業職としての本質を諭された思いになった。「どんなに辛くとも、お客様には笑顔で挨拶しなさい」、別れ際に送られた言葉には臥薪嘗胆の人生をも楽しみに変えてきたのだと、ハッとした。
- 株式会社 沖縄アドサービス
代表取締役:白間 弘造
本社所在地:沖縄県宜野湾市大山2-9-25
創業:1993年
社員数:14名(2020年1月現在)