6.安らかな癒しを与える 銭湯の象徴、背景絵師

職人人生で得たものと、これから

銭湯絵の描き方はいたってシンプル。ぶっつけ本番で下絵もなしに、10本以上の筆やハケ、ローラーを巧みに操り、油性ペンキを塗っていく。まさに職人技だ。特に、塗装関連で使用するローラーを使った塗り方は、若き日の中島さんが発案し、同業者へも広がったスタイル。けがで指を使えなくなった際、塗装屋の仕事を見て、思いついたそうだ。筆と比べて、よりきれいなぼかしが表現できるのだと、誇らしく語る。

パレット代わりのチリトリを片手に、最も難しいという富士山山頂の雪の部分を描く中島さん。曇り方や細かい陰影は、描く度に毎回違う顔を見せる。一生修行の身ですねと苦笑する

ローラーを使った描き方は中島さんが考案したもの。油性ペンキを絵の上に塗り足し、約1時間という短い時間で下地を作る。高さ3mを超える壁面に、淀みなく油性ペンキを塗っていく

全体の構図もその場で、インスピレーションを働かせて考えるというのだから驚きだ。風呂を楽しむ人に開放感を感じてもらうため、広い浴場はより広く明るい色合いで、狭ければ、川など別の風景画を使って奥行きを出すのを心がけているという。また、一般的に3年ほどで塗り替えになるが、その際は以前とは全く異なる絵にするのをポリシーにしている。「大きく変化した方が、見る人も気分転換になって面白い」。時には実際の風景にはない、オリジナルの湖や海などを取り入れながら、飽きの来ない風景を作っていく。

「今まで一番上手く描けた背景画は?」という質問に、「今日描いた絵が、これまでの最高傑作だ」と中島さん。毎回どんな仕事であっても、常にそう納得し続けないと、胸を張って帰れないのだと熱意を込める。けれども時間が経って見返すと、もっとうまく描けたはずだと、恥ずかしくなるそうだ。その向上心が、自身を太く、長く支える支柱になっている。

中島さんの心意気に引かれるようにして、弟子や仕事を手伝ってくれる有志のボランティアにも恵まれた。かつての中島さんのように、若くして弟子入りを志願してきた田中みずきさんは、現在独立し、最も若い背景画師として活躍を続けている。

さらには近年、そんな有志たちの働きかけで、中島さんの活動をPRするホームページを開設。大手広告代理店と連携してオリジナル商品を売り出すなど多彩な取り組みで、背景画師という職業の注目度は、再び熱を帯び始めている。

それでも、自分の役割は変わらない。銭湯絵の仕事は生きる糧、大好きですと言い切る中島さん。「大きい壁面のキャンパスに、自分の思いを表現できる。これほど飽きが来なくて、楽しい仕事はありません」。動けなくなるまで、これからも走り続けたいですと破顔した。

背景画師 中島盛夫

1945年福島県相馬郡飯舘村出身。1964年に上京して間もなく、銭湯絵に魅入られ、背景画師の故・丸山喜久男氏に師事。ローラーを使って色を塗る描画方法を初めて考案し、背景画制作の時間短縮に貢献。銭湯の減少にともない背景画師が減るなか、日本を代表する職人のひとりとして、幅広いフィールドで活躍中。

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