商用車のカーラッピングはもとより、新幹線や航空機まで幅広く手がける、フリートマーキングの業界最大手企業、アサイマーキングシステム。豊富な施工技術を生かし、エスカレーターグラフィックスや壁面、フロア、空間演出など多彩な貼り仕事にも着手し、その受注件数は年間7,500件以上にも上るという。
そして、それらの膨大な案件を根幹から支えているのが、2016年より独自開発している業務管理システム「AMS-BOS」だ。サイン業界に先駆けて取り入れられたオペレーションシステムによって、積算から受注、細かい事務作業、在庫管理まで、製作現場の省人化と生産性向上を両立。また、大手人材派遣会社と連携して人事・評価制度を刷新するなど、社員が働きやすい社内環境の構築にも注力している。
「どこよりも良い会社にしたい」と意気込む浅井大輔社長の熱意の源泉はどこにあるのか。同氏が掲げる経営ビジョン「STRONG TREE」の真髄に迫った。
作業着と背広の二足のわらじで
現在も関係が続く初顧客を獲得
4階建ての本社ビルよりもさらに高くそそり立つ1本の大木。会社設立30周年を記念し、2015年に植樹されたヒノキ科の落葉樹だ。木は会社の成長に呼応するように育ち続け、植えた頃と比べて2倍以上の大きさになった。「この大木のように、会社、社員ともどもすくすくと持続的に成長する、皆にとって働きやすい会社にしていきたい」と柔和な笑顔で話すのは、アサイマーキングシステムの代表取締役・浅井大輔氏。「個人を尊重し、人が成長し、誇りを持てる企業になる −リーダーシップと刷新−」。経営理念のひとつにも掲げられているこの言葉は、創業時から変わらない自身の道しるべにもなっている。
浅井氏が貼り施工ビジネスを始めたのは1984年。当時、とある製造業に従事していた浅井氏だったが、人に指図され、自由に働けない会社の雰囲気に堅苦しさを覚え、父・弟とともに脱サラし、起業を決意した。以前から親交のあったスリーエム ジャパン(旧:住友スリーエム)の知り合いに勧められて、自動車にストライプ模様を貼り付ける一般顧客層向けのサービス事業を開始。はじめは、自宅のガレージが拠点だった。
とはいえ、貼りの技術は独学で素人同然。営業に出向いても袖にされるばかりで、月の売り上げが5万円に満たない時期も長かった。このままでは、いつまでも大きな仕事を任せてもらえない。そこで浅井氏は、「まずは貼り付けの施工技術を習得しよう」と決意。土日返上、夜通しで奔走し、技術を盗みながらこつこつ働いた。
そして、バブル経済の発生とも重なる1986年に、株式会社アサイマーキングシステムとして法人化。父と弟の家族3人で、新たなスタートを切った。当時24歳を迎え、ちょうど結婚直後のタイミングだったという浅井氏。成功するまでは家庭を顧みない腹積もりで、「10年は家に帰らない」と妻に言い聞かせたそうだ。当時を振り返り、「実際は、20年は帰りませんでした」と、苦笑する。
その言葉通り、オフィスと現場を行き来し、自宅を介さない日々が続いた。ターゲットも一般層に絞るのではなく、企業や物流の商用車、いわゆるフリートマーキングに可能性を感じ、積極的にBtoB領域へ拡大。当時はまだノウハウが確立していなく、特殊技術を求められた壁面や床、シャッターといった案件も、フィルムを貼る仕事なら何でもチャレンジした。「現場に繰り出しては、作業着から背広に脱ぎ変えて営業活動に勤しんでいました。顧客や業界・業種ごとのニーズを考えながら提案し、少しずつ会社名を覚えていってもらいましたね」
最初のうちはなかなか相手にもされなかったが、提案を繰り返すうちに少しずつ熱意は伝わっていった。徐々に施工ノウハウが高まってきたのも相まって、やっとの思いでひとつの案件を受注した時は、えも言われぬ達成感を得られたそうだ。この創業当時に獲得した住宅設備会社や運送業者といったクライアントは、30年以上が経った現在もお得意様としての関係を続けているという。
車のマーキングと言えば、定期的な車両の代替えが必須だ。そのため、まっとうで品質の高い仕事さえしていれば、このクライアントのように、当然リピートは増えていく。その後も浅井氏は、日本全国を飛び回り、営業活動にまい進。1つ、2つと仕事が増え安定していくうちに、自身は営業、弟は現場技術と、より明確に互いの役割は変わっていった。法人化から2年が経つ頃には、初めて従業員を雇用。7年後には、固定客が200社を超えるなど、順調に事業を拡大させていった。