旭堂看板店は1952年の創業以来、右肩上がりに業績を伸ばし続け、来年で創業70周年を迎える。3代目に当たる水谷俊彦社長は、少数精鋭の家族経営だった会社の体制を一新。2017年の社長就任以降、人材の確保に努めて会社の基礎体力を高め、年間売り上げが初めて1億円に到達するなど、その地盤を固めつつある。
コロナ禍による経済ショックに苛まれた近年では、新たな一手としてロープ施工に着目。本格的なビジネス化に向けて、5人のスタッフたちとともに研鑽を積んでいる。今まさに転機を迎えている同社。その軌跡を追いながら、水谷社長に今後の展望を伺った。
下請け依存からの脱却を目指し、家族経営からの転身を図る
愛知県の中心街、JR名古屋駅から市営地下鉄の桜通線に乗り継ぎ、南東方面に約20分。端正な街並みの一角に、旭堂看板店はそびえている。
「県内で最先端の看板屋を目指す」。そう力強く宣言するのは、旭堂看板店の舵を取る代表取締役、水谷俊彦氏だ。新しいものを常に取り入れようとする好奇心と、常に前のめりの姿勢を崩さないチャレンジ精神で、社員の力を押し上げ、引っ張ってきた。その自信に満ちた言葉は、勢いやブラフではない。5年先を見据えた長期スパンの経営ビジョンと、その成功を裏付けていく1年単位の細かい目標の数々。実現できる可能性を十分に抱いているのはもちろん、実際に会社を成長させてきたという自負があるからこそ、胸を張って言い切れるのだ。
同社が創業したのは、1952年。水谷氏の祖父、俊夫氏が個人経営として旗揚げしてから、これまで親子3代で築き上げてきた。今では10人以上の従業員を抱える同社だが、もともとは長きにわたる家族経営で、人数を増やし始めたのはここ10年くらい。経営理念である「粋な仕事で社会に必要とされる企業を目指す」の言葉の通り、ニーズの一歩先を行く心配りを重視する方針で着実に地域の信頼を獲得しながら、まちに根付く看板屋として少しずつ礎を固めてきた。父・一夫氏の代になっても、経営方針は変わらず。現社長の俊彦氏も、1998年に高校を卒業するやいなや、家業を手伝うように。祖父が引退してからも、兄を加えた3人体制で切り盛りしてきた。
俊彦氏が入社してから最初の転機になったのは、2008年。当時、大手コンビニチェーンの下請けに売り上げの50%ほどを依存していたのだが、先方から一時的にはしごを外されてしまい、一気に仕事を失う事態を引き起こしてしまう。このままでは、いずれ会社は傾くかもしれない。危機感を感じ、俊彦氏は本格的に経営学を学び始めた。「あの頃から、いつか会社を継ぎたい思いはずっと抱いていました」と述懐する。同年には、他業種を含めた地域の経営者たちが集い、互いに意見交換を行う愛知中小企業家同友会に入会。そこでの出会いが、俊彦氏の企業に対する考え方を大きく変えるきっかけになっていった。
人材確保で得られた企業成長と、社員育成に潜む落とし穴
同友会に参加し、多彩な業種の経営者と話す機会を得た俊彦氏。これまでは経営ビジョンも、年間の売り上げ目標すらもなかった同社にとって、仲間たちとの話は目からうろこの連続だった。彼らに倣って、5年先の経営ビジョンを定め、実現させるための経営指針や具体的な年間スケジュールを策定。売り上げ目標を定め、自社の立ち位置をその都度知っていく重要性も学んだ。そのなかでも特に必要だと感じたのは、人材の確保だ。「事業をこれ以上大きくしていくためには、家族経営では限界に差し掛かっていました」
さっそく求人を募集し、何人かの従業員を採用。最初のうちは、慣れない指導と作業効率の低下によってかえって売り上げが落ちてしまい、やきもきする日もあったものの、1人、2人と社員を増やしていくうちに、みるみる業績は安定していった。もともと、企画・デザインから施工まで一貫受注できる体制が強みだったのもあり、マンパワーさえあれば、自然と仕事は増えていったのだ。2011年以降は、毎年右肩上がりとなり、安定した収益を確保していった。
その頃になると、取締役部長という立場でありながら、父に代わり実質的に会社の実権を握っていた俊彦氏は、毎年のように社員を採用。すぐに10人弱くらいにまで増員した。さらに、幅広い業務に対応するため、看板の照明を取り付ける専門部隊としてLED事業部を設立。2014年には、初めて年間売り上げが1億円を突破した。従業員も技術を身に付け始め、会社は順風満帆に成長カーブを描いていったものの、2017年に思わぬ落とし穴が待っていた。
それは、信頼していた一社員の突然の離職だった。しかも、懇意にしていたクライアントからの直々の引き抜き。大手コンビニチェーンの大規模な表示切り替えという、同社としても最大規模となる重要案件をこなした直後であり、その中核を担っていた人物だった。当時を思い出すだけで、未だにげんなりするという俊彦氏。社内でも人望が厚かったスタッフで、彼の退職により、芋づる式に後輩数人も辞めていったという。年間売り上げは、過去最高の2億3,000万円弱を記録。しかし、代償として痛すぎる戦力低下を招いてしまった。
「社員側と経営者側の間で、少し会話が不足していたのかもしれませんね」と、俊彦氏はこの時の課題を挙げる。勢いに任せて一挙に従業員を増やした結果、円滑な情報伝達が不足してしまい、十分な関係を構築しきれなかったそうだ。
反省を生かし、現在では社員間の垣根をあえて少なくし、オフィス内の風通しを良くするよう配慮。コミュニケーションを重視するのはもちろん、新しく入社する人には必ず会社の良い部分と改善できる部分を両方伝えるようにし、入社後のギャップを少しでも軽くしてもらうようにしている。
さらに、定期的に社内勉強会や、全社員参加のレクリエーション、合同誕生日会などさまざまなイベントを実施。親睦を深め、社内の情報共有に努める。
このほか、社内の基本方針として、整理・整頓・清掃・清潔・躾を取り入れる5Sを導入。普段の身支度を整えるほかにも、例えば5月にエアコン掃除、6月に駐車場草むしり、8月に倉庫の整理など、年間スケジュールを定め、具体的な活動を促しているという。
俊彦氏自身も、社外に積極的に繰り出し、さらなる情報収集に勤しんでいる。2019年には、業界関連企業による全国ネットワーク、サインの森にも入会。自ら全国規模の業界団体へ飛び込み、知識やノウハウの取得に励む。「同友会と二足の草鞋で、より多くの経営者たちの爪の垢を煎じて飲みつつ、柔軟なアイデアを常に模索し続けています」